2010.11.29
くるみ幼稚園 リズム発表会について⑥(自己表現)
くるみ幼稚園リズム発表会まで残すところ1週間を切り、子どもたちは徐々に仕上げの段階に入っております(*^^)v 毎日の練習で、昨日より今日、今日より明日と見違えて上達していく子どもたちの姿を見ていると、子どもたちの吸収力とは本当に凄いんだということをまざまざと実感する時期でもあります\(^o^)/
友だちと一致団結して協力し、時に叱咤し合い、時にやさしく励まし合いながら真剣に練習に取り組んでいるその姿は、まさに複雑な社会の中での人間関係の根本的なものを見ているようで、時々「ドキッ」としてしまうことがあるんですよね・・・(-_-;)
『くるみ幼稚園リズム発表会について』も、⑥回目となりましたので、今回はそういった子どもたちが発表会に取り組む内面(心情)を探ってみたいと思います。
発表会での子どもたちの自己表現
練習については以前少し書きましたが、開始の時期は概ね1ヵ月くらい前からです。最初は先生が前に立って振付を見せて、それを真似て踊ることから始まりますが、しかしそれは子どもにとっては日常生活の延長線上と言えるのでしょうか。
なぜならくるみ幼稚園の場合は、一年を通して何らかの曲に合わせて体操などを行っており、たとえば運動会の時の体操だって、広い意味ではこのリズム発表会の踊りの基礎的なものととらえることができるでしょう(@_@)
子どもたちにとって、面白い音楽に合わせて体を動かすということは、ごくごく自然で楽しいことであって、ここが大人とはちょっと違う感覚なのでしょうね(^v^)
従いまして、そういった環境が当園には既に整っておりますので、練習への導入もまったくゼロからという訳ではなく、また子どもにとってもさして困難ではなく、たぶん大人が思うよりもずっとスムーズに、そして何より自ら進んで自発的に行えるのが特徴であると思います。楽しいから、面白そうだから体を動かしてみる・・・と言うのが彼らをつき動かす最も大きい動機なのでしょう。
それを学術的には、「内発的動機付け」と申しますが、これが幼児教育にとっては重要なことであり、子どもの心身の発達には欠かせないモノであると言えます。そういう、子どもたちの心の奥底から湧き上がってくる純粋な欲求を満たしつつ、集団教育の中である一定の方向へと導いていくということが、幼稚園教育の醍醐味であると言えましょう。
先に触れましたが、例えば大人が舞台の上で表現を行うと言うことには、様々な抵抗が発生します。それは、ある種の羞恥心や遠慮といったものなのでしょうか。
また章を変えて書きたいと思いますが、今般も活躍が期待される『くるみ合唱団』のお父さん・お母さんたちは、逆にそれらの負の感情をご自身で克服していると言うことであり、それはとても称賛に値するものだと私は思います・・・(^O^)/
さて、子どもたちが「舞台の上で自分の躍動する姿を他者に見せる」という行為は、まさに一種の「自己表現」の手段であります。人間社会において「自己の内面を表現して相手に伝える」と言うことは非常に重要なことでしょうし、人間関係を築く上での基礎的なもの、と言えるでしょう。
人間は大きくなるにつれて徐々に言語を獲得していきますから、だんだんと自己表現は言葉だけで行われることになっていくと考えられますので、いつしか、身体動作による表現に対しては、一種の恥ずかしさのようなものが芽生えてくる・・・つまりは大人になると身体で表現するのは苦手というかあまり必要がなくなってくる、ということなのかと思います。
しかし、感情などの表現を、あまりにも言語に頼りすぎた場合は・・・どうでしょうか? 私たちは日本人ですから日本語を使用しますが、例えば外国の人たちに「自己表現」したい場合は? 英語ならまだしも、他の言語を使用している人たちに伝えたい場合は??? ・・・と、実は言語に頼りすぎるのには限界があるではないでしょうか? 要は相手に何かを伝える自己表現手段をたくさん持っていることが、他者とのコミュニケーションを取る際には有利となり得るということだと思います。
驚くべきは、子どもたちがほとんどそれを日常的に、半ば本能的に行っているということでありましょう。それは子どものボキャブラリーの少なさを補う等の理由に起因する部分もあるのでしょうが、それでも大人から見ればその行為は驚嘆に値するものだと思います。
こうして考えていきますと、子どもたちの精いっぱいの表現活動であるくるみ幼稚園のリズム発表会が、いかに人間にとって基礎的かつ重要なものかをわかって頂けるのではないかと思います。
発表会で躍動する子どもたちを見て、彼らが、踊る(自己表現をする)喜びに満ち溢れている姿を、是非とも感じとって頂けたら幸いに存じます(^v^)
(直)